P--1299 P--1300 P--1301 #1後世物語聞書 後世物語聞書 ちかころ 浄土宗の 明師をたつねて 洛陽 ひんかしやまの ほとりに まします 禅坊に まひりてみ れは 一京九重の 念仏者 五畿七道の 後世者たち をの〜 まめやかに ころもは こゝろと とも にそめ 身は 世とともに すてたるよと みゆる ひと〜のかきり 十四五人はかり ならひ居て い かにしてか このたひ 往生の のそみを とくへきと これを われも〜と おもひ〜に たつねま ふしゝ ときしも まひりあひて さひはひに 日ころの不審 こと〜く あきらめたり そのおもむき  たちところに しるして ゐなかの 在家無智の ひと〜の ために くたすなり よく〜 こゝろを しつめて 御覧すへし あるひと 問ていはく かゝるあさましき 無智のものも 念仏すれは 極楽に生すと うけたまはりて  そのゝち ひとすちに 念仏すれとも まことしく さもありぬへしとも おもひさためたることも さふ らはぬをは いかゝ つかまつるへき 師こたへて いはく 念仏往生は もとより 破戒無智の ものゝためなり もし 智恵もひろく 戒をも P--1302 またく たもつ身ならは いつれの 教法なりとも 修行して 生死をはなれ 菩提を うへきなり それ か わか身に あたはねはこそ いま念仏して 往生をは ねかへ またあるひと 問ていはく いみしき ひとのためには 余教をとき いやしき ひとのためには 念仏を  すゝめたらは 聖道門の諸教は めてたく 浄土門の一教は おとれるかと まふせは 師こたへて いはく たとひ かれはふかく これはあさく かれはいみしく これはいやしくとも わか 身の分に したかひて 流転の苦を まぬかれて 不退の くらゐをえては さてこそあらめ ふかき あ さきを 論して なにゝかはせん いはんや かのいみしき ひと〜の めてたき教法を さとりて 仏 になるといふも このあさましき身の 念仏して 往生すといふも しはらく いりかとは まち〜なれ とも おちつくところは ひとつなり 善導の のたまはく 八万四千の 門々不同にして また 別なる にあらす 別々の門は かへりて おなしといへり しかれは すなはち みなこれ おなしく 釈迦一仏 の説なれは いつれを まされり いつれを おとれりと いふへからす あやまりて 法華の諸教に す くれたりと いふは 五逆の達多 八歳の竜女か 仏になると とくゆへなり この念仏も またしかなり  諸教にきらはれ 諸仏にすてらるゝ 悪人女人 すみやかに 浄土に往生して まよひを ひるかへし さ とりを ひらくは いはゝ まことに これこそ 諸教に すくれたりとも いひつへけれ まさにしるへ し 震旦の曇鸞道綽すら なを 利智精進に たへさる 身なれはとて 顕密の法を なけすてゝ 浄土を P--1303 ねかひ 日本の 恵心 永観も なを愚鈍懈怠の 身なれはとて 事理の業因を すてゝ 願力の念仏に  帰したまひき このころ かのひと〜に まさりて 智恵もふかく 戒行も いみしからん ひとは い つれの法門に いりても 生死を 解脱せよかし みな 縁にしたかひて こゝろの ひくかたなれは よ しあしと ひとのことをは 沙汰すへからす たゝ わか身の行を はからふへきなり またあるひと 問ていはく 念仏すとも 三心を しらては 往生すへからすと さふらふなるは いかゝ し さふらふへき 師のいはく まことに しかなり たゝし 故法然聖人の おほせこと ありしは 三心を しれりとも  念仏せすは その詮なし たとひ 三心を しらすとも 念仏たに まふさは そらに 三心は具足して  極楽には 生すへしと おほせられしを まさしく うけたまはりしこと このころ こゝろえ あはすれ は まことにさもと おほへたるなり たゝし をの〜 存せられんところの こゝちを あらはしたま へ それをきゝて 三心に あたり あたらぬよしを 分別せん あるひといはく 念仏すれとも こゝろに 妄念をおこせは 外相は たうとくみえ 内心は わろきゆへ に 虚仮の念仏と なりて 真実の念仏に あらすと まふすこと まことにと おほへて おもひしつめ て こゝろをすまして まふさんとすれとも おほかた わかこゝろの つや〜 とゝのへかたく さふ らふをは いかゝ つかまつるへき P--1304 師のいはく そのこゝち すなはち 自力に かゝえられて 他力をしらす すてに 至誠心の かけたり けるなり くたんの くちに 念仏を となふれとも こゝろに 妄念の とゝまらねは 虚仮の念仏と  いひて こゝろをすまして まふすへしと すゝめけるも やかて 至誠心かけたる 虚仮の念仏者にて  ありけりと きこえたり そのこゝろに 妄念をとゝめて くちに 名号をとなへて 内外相応するを 虚 仮はなれたる 至誠心の 念仏なりと まふすらんは この至誠心を しらぬものなり 凡夫の真実にして  行する念仏は ひとへに 自力にして 弥陀の本願に たかへる こゝろなり すてに みつから そのこ ゝろを きよむと いふならは 聖道門の こゝろなり 浄土門の こゝろにあらす 難行道の こゝろに して 易行道の こゝろにあらす これを こゝろうへきやうは いまの凡夫 みつから 煩悩を 断する こと かたけれは 妄念また とゝめかたし しかるを 弥陀仏 これをかゝみて かねて かゝる衆生の  ために 他力本願を たて 名号の不思議にて 衆生のつみを のそかんと ちかひたまへり されはこそ  他力とも なつけたれ このことはりを こゝろえつれは わかこゝろにて ものうるさく 妄念妄想を  とゝめんとも たしなます しつめかたき あしきこゝろ みたれちる こゝろを しつめんとも たしな ます こらしかたき 観念観法を こらさんとも はけます たゝ 仏の名願を 念すれは 本願 かきり あるゆへに 貪瞋痴の煩悩を たゝえたる 身なれとも かならす 往生すと 信したれはこそ こゝろや すけれ されはこそ 易行道とは なつけたれ もし 身をいましめ こゝろを とゝのへて 修すへきな P--1305 らは なんそ 行住坐臥を 論せす 時処諸縁を きらはされと すゝめんや また もしみつから とゝ のへ こゝろを すましおほせて つとめは かならすしも 仏力を たのますとも 生死を はなれん  またあるひとの いはく 念仏すれは こえ〜に 無量生死の つみきえて ひかりに てらされ こゝ ろも 柔&M019453;になると とかれたるとかや しかるに 念仏して としひさしく なりゆけとも 三毒煩悩も すこしもきえす こゝろも いよ〜 わろくなる 善心 日々に すゝむこともなし さるときには 仏 を うたかふには あらねとも わか身の わろき こゝろねにては たやすく 往生ほとの 大事は と けかたくこそ さふらへ 師のいはく このこと ひとことに なけく こゝろねなり まことに まよへるこゝろなり これなんそ  浄土に生せんといふ みちならんや すへて つみ滅すといふは 最後の一念にこそ 身をすてゝ かの土 に 往生するを いふなり されはこそ 浄土宗とは なつけたれ もし この身において つみきえは  さとりひらけなん さとりひらけは いはゆる聖道門の 真言 仏心 天台 花厳等の断惑証理門の こゝ ろなるへし 善導の御釈に よりて これを こゝろうるに 信心に ふたつの釈あり ひとつには ふか く自身は 現にこれ 罪悪生死の凡夫 煩悩具足し 善根薄少にして つねに 三界に流転して 曠劫より  このかた 出離の縁なしと 信知すへしと すゝめて つきに 弥陀の誓願の 深重なるをもて かゝる衆 生を みちひきたまふと 信知して 一念も うたかふこゝろ なかれと すゝめたまへり このこゝろを  P--1306 えつれは わかこゝろの わろきに つけても 弥陀の大悲の ちかひこそ あはれに めてたく たのも しけれと あふくへきなり もとより わかちからにて まひらはこそ わかこゝろの わろからんに よ りて うたかふおもひを おこさめ ひとへに なんのうたかひか あらんと こゝろうるを 深心といふ なり よく〜 こゝろふへし またあるひとの いはく 曠劫より このかた 乃至今日まて 十悪五逆 四重謗法等の もろ〜のつみ を つくるゆへに 三界に流転して いまに 生死の すもりたり かゝる身の わつかに 念仏すれとも 愛欲のなみ とこしなへに おこりて 善心をけかし 瞋恚のほむら しきりに もえて 功徳をやく よ きこゝろにて まふす念仏は 万か一なり その余は みな けかれたる 念仏なり されは 切にねかふ と いふとも この念仏 ものになるへしとも おほへす ひとひとも また さるこゝろを なをさすは  かなふましと まふすときに けにもと おほへて まよひ さふらふをは いかゝし さふらふへき 師のいはく これは さきの信心を いまた こゝろえす かるかゆへに おもひ わつらひて ねかふこ ゝろも ゆるになるといふは 廻向発願心の かけたるなり 善導の 御こゝろに よるに 釈迦のをしへ に したかひ 弥陀の願力を たのみなは 愛欲瞋恚の おこり ましはると いふとも さらに かへり みること なかれといへり まことに 本願の白道 あに 愛欲のなみに けかされんや 他力の功徳 む しろ 瞋恚のほむらに やくへけんや たとひ 欲もおこり はらもたつとも しつめかたく しのひかた P--1307 くは たゝ 仏たすけたまへと おもへは かならす 弥陀の大慈悲にて たすけたまふこと 本願力なる ゆへに 摂取決定なり 摂取決定なるかゆへに 往生決定なりと おもひさためて いかなるひと きたり て いひさまたくとも すこしもかわらさる こゝろを 金剛心といふ しかるゆへは 如来に 摂取せら れ たてまつれはなり これを 廻向発願心と いふなり これを よく〜こゝろふへし またあるひと いはく 簡要をとりて 三心の本意を うけたまはり さふらはん 師のいはく まことに しかるへし まつ 一心一向なる これ 至誠心の大意なり わか身の分を はか らひて 自力をすてゝ 他力につくこゝろの たゝ ひとすちなるを 真実心といふなり 他力を たのま ぬこゝろを 虚仮のこゝろと いふなり つきに 他力を たのみたる ところの ふかくなりて うたか ひなきを 信心の本意とす いはゆる 弥陀の本願は すへて もとより 罪悪の凡夫の ためにして 聖 人賢人 ためにあらすと こゝろえつれは わか身の わろきに つけても さらに うたかふおもひの  なきを 信心といふなり つきに 本願他力の 真実なるに いりぬる 身なれは 往生決定なりと おも ひさためて ねかひゐたる こゝろを 廻向発願心と いふなり またあるひと まふさく 念仏すれは しらされとも 三心は そらに 具足せらるゝと さふらふは そ のやうは いかに さふらふやらん 師こたへて いはく 余行をすてゝ 念仏をするは 阿弥陀仏を たのむこゝろの ひとすちなる ゆへな P--1308 り これ至誠心なり 名号をとなふれは 往生を ねかふこゝろの おこるゆへなり これ廻向発願心なり  これらほとの こゝろえは いかなるものも 念仏して 極楽に 往生せんと おもふほとのひとは 具し たるゆへに 無智のものも 念仏たにすれは 三心具足して 往生するなり たゝ 詮するところは 煩悩 具足の 凡夫なれは はしめて こゝろの あしとも よしとも 沙汰すへからす ひとすちに 弥陀をた のみ たてまつりて うたかはす 往生を決定と ねかふて まふす念仏は すなはち 三心具足の行者と するなり しらねとも となふれは 自然に 具せらるゝと 聖人の おほせこと ありしは このいはれ の ありける ゆへなり またあるひとの いはく 名号を となふるときに 念々ことに この三心を 存して まふすへく さふ らふやらん 師のいはく その義 また あるへからす ひとたひ こゝろえつるのちには たゝ 南無阿弥陀仏と と なふる はかりなり 三心 すなはち 称名の こえに あらはれぬる のちには 三心の義を こゝろの そこに もとむへからす 後世物語聞書